top of page
検索

行間を読む

  • 目黒
  • 2018年3月6日
  • 読了時間: 2分

コンサートで、本を一冊朗読する。

お客様はそれを聴いてくださる。

音楽にのせての朗読は、どちらかというと演劇に近い性質を持っているように思う。

私は、本の言葉と本に込められた想いをお客様にお届けしよう、

そんな気持ちで朗読している。

自分の感情を重ねた言葉を、音に変換する。

お客様は、私達のパフォーマンスを観に(聴きに)来てくださっているのだから、

「おはなしムジカ」独自の解釈で、音楽を本に合わせていく。

そこに私達のカラーが生まれるから。

話は換わるが、私は教育関係の仕事をしている。

国語という授業の中で、文学作品を読む時、

あるいは、誰かに文学作品について伝えようとする時、大切にしていることがある。

行間だ。

活字にならない部分に込められた作家の想いを感じることで、より一層その作品は深みを増す。

つまり、本が読み手にとって輝きを放つのは、作者の紡ぐ言葉が、読み手の生き様とシンクロして、

豊かな感情や感動が、読み手の中に生まれるからに他ならない。

書き手と読み手との間には、他者の介入を許さない濃密な関係が成立している。

それが読書の醍醐味だと思う。

その場合は、本の読み方を第三者が決めるべきではない。

誰かによって方向付けられた感動は、演劇や映像作品に任せればよい。

間違って受け止めて欲しくないのだが、これは感動に優劣をつける話では決してない。

種類が全く違うのだ。

演劇や映像作品は、もともとある作品に、別のテイストが加わり、それを観る人が味わう。

一方の読書という行為、そこには本を手にした読み手ただ一人しか存在しない。

書き手の想いがダイレクトに伝わる。 だから「読書の醍醐味」と先ほど述べたのだ。

演劇などは、監督や演者が加えてくれたテイストを、読書では、

読み手自身が加味しなければならない。

何がテイストになり得るのかというと、それは「生き様」であろう。

読み手がこれまでに歩んできた道のり、 その全ての要素が、作品の行間を埋め尽くす。

昔読んだ本なのに、今読むと全く違う感想が生まれたりするのも、

きっとそういうことなのだと思う。

今回のコンサートで朗読するのは、「くまとやまねこ」という作品。

私のこれまでの経験でこの作品の行間を埋めていく作業が、コンサートに向けての第一歩。

そして、メンバーみんなで音楽に言葉をのせていく作業を繰り返し、「おはなしムジカ」の作品に

仕上げていくのだ。

私はこの工程がとても好きである。

そして、完成したものをお客様に披露する瞬間、それがとても、とても好きである。


 
 
 

© 2023 by Lone Journey. Proudly created with Wix.com

bottom of page