コロナに猛暑にゲリラ雷雨。
皆さまいかがお過ごしですか?
私事で申し訳ありません。
実は先日、父が他界いたしました。
家で眠っている間に逝きました。
89歳、穏やかな最期でした。
私には三つ下の弟がいます。
実家で暮らしているのですが、父が寝たきりになった頃から、
「前世ではお父さんは僕の子供だった気がして仕方ないんだ」と、年老いた母に代わり父の全ての面倒をみていました。
「パパ、また遊びに来るね」
にこにこと笑う父に手を振って別れたのが、いつだったか忘れるくらいもうずいぶん前のことで。
こんな世の中なのでなかなか実家に帰ることもできず、結局それきりになってしまったのが一番の心残りです。
でも…。
母は泣いていたけれど、弟の静かで優しい表情を見ていたら、「ああ、パパは幸せに旅立ったんだな」と思うことができました。
自宅に戻り数日が経ちます。
父を見送った時、お別れが悲しくて涙が溢れたけれど、不思議なもので今もまだ父が実家で元気に暮らしているような気がしています。
「おお、おお、よく来たねえ」と言う笑顔の父に会えそうな気がしています。
父は国語の教師でした。
そしてそんな父を見ていた私は、国語の教師になりました。
けれど今回の帰郷で、母から初めて聞いたことがあります。
父は若い頃、歌手になりたかったそうなのです。
思えば歌がとてもうまく、私が幼い頃、一度だけテレビで歌う父を見たことをうっすらと覚えています。
けれども私の知っている父は、国文学の本がたくさん並ぶ書斎でいつも机に向かっていました。
だから全く知りませんでした。
父がかつて歌の道を目指していたことを。
私は今、こうして音楽活動をしています。
こじつけかもしれませんが、その話を聞いた時に、「ああ、ここでも父と繋がってたんだ」とそんな思いに駆られたのです。
父はとても不器用な人でした。
普段から無口な人でした。
友達は、勉強はなんていう何気ない会話も、
人としてとか、いかに生きるべきかとか、そんな話もしたことはありません。
でも思うのです。
父の想いを受け継ぐなんて大層なことは言いません。
けれどーー。
父はもういないけれどーー。
少女の頃、文学を通して父を感じていたように、これからは音楽を通しても父を感じることができる、そう思うと私は今、とても嬉しいのです。
目黒
父
更新日:2020年9月17日
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